浅田真央:トリプルアクセルの軌跡「成長型マインドセット」

以前にこちらの記事で「成長型マインドセット」と「固定型マインドセット」のお話をしました。人の能力は努力次第で伸ばしていけると考える成長型に対して、能力は生まれながらに決まっていると考えるのが固定型マインドセットです。

この「心の在り方」は人生に非常に大きな影響を与えるので、「自分はダメだ…」と思い込んでしまうような時に是非意識して頂きたいことの1つですが、誰もが知っている国民的アスリートで「成長型マインドセット」の典型のような人がいます。

元フィギュアスケート選手でオリンピック銀メダリストの浅田真央です。

Tina

「浅田真央さん」も「浅田真央ちゃん」も違う気がして、敬意をこめて敬称を略させて頂きます。

彼女の現役時代の理想を追い求めて挑戦し続ける姿に日本中が励まされ勇気づけられましたよね。

筆者も彼女の大ファンで、現役時代の雄姿が未だに目に焼き付いて離れず、今回は彼女のトリプルアクセル挑戦の軌跡を追いながら「成長型マインドセット」について考えてみたいと思います^^

関連ワード】浅田真央 ソチオリンピック/伝説のフリー/こだわり続けたトリプルアクセル/ノクターン/真央ちゃん/フィギュアスケート

目次

バンクーバー銀メダルの涙

フィギュア界に彗星のごとく現れた天才少女:浅田真央。天真爛漫に高難度のジャンプを次々と決める真央ちゃんも本当に可愛かったのですが、現役時代の彼女の姿で多くの人の印象に残っているのは、苦悩の表情でスケートに向き合うアスリートとしての浅田選手ではないでしょうか。

特にバンクーバーオリンピックでトリプルアクセルを3回決めるという偉業を成し遂げながらも金メダルを逃し、基礎から徹底的にジャンプやスケーティングの矯正に取り組み始めた頃から、彼女の敵は彼女自身の中にあり、孤独にそれと向き合うストイックな姿が心に残っています。

成長型マインドセットについて考える前に、まずは現役時代の彼女の実績をハイライトで振り返ってみましょう。

Tina

筆者の独断と偏見によりハイライトをピックアップしています。
今回は記事の趣旨から、彼女の現役生活のうち【ソチオリンピックまで】を一区切りとしてお話します。ソチオリンピック前夜までのエピソードがまとめられた下記2冊は浅田真央ファンは必読です!!
浅田真央 そして、その瞬間へ 
浅田真央 さらなる高みへ

なんでこんなに心打たれ励まされるんだろう…。スターですね。

ジュニア時代:天才少女

全日本ノービス選手権でノービスBクラス、Aクラス共に2連覇を達成(2000年~2004年)。2002-2003シーズンの全日本選手権(特例で出場)で 3回転-3回転-3回転のコンビネーションジャンプを跳び「天才少女」と呼ばれ注目を集める。

2004-2005シーズン、ジュニアグランプリファイナルで女子ジュニア史上初のトリプルアクセルに成功。このシーズンではジュニアグランプリで出場した3戦全てで優勝をおさめる。

全日本ジュニア選手権・世界ジュニア選手権で初優勝

シニア転向から悲願のオリンピック

シニア転向:オリンピックの年齢制限

2005-2006シーズンにシニア転向。グランプリファイナルで世界女王を破り優勝。2006年のトリノオリンピックへの出場は年齢制限により叶わず話題を集める。

Tina

「真央ちゃんを何とかオリンピックに!」と日本中が盛り上がりましたが、ISUの定めた「オリンピック前年の6月30日までに15歳」という年齢制限に87日足りず出場は叶いませんでした。
※出典:浅田真央 さらなる高みへ 吉田 順(著)

全日本選手権初優勝

2006-2007シーズンではNHK杯でISU歴代最高得点を叩き出して優勝。全日本選手権では右手小指を骨折しながらも初優勝。東京開催の2007年世界選手権はショートプログラムで出遅れたが、フリーで当時のISU歴代最高得点を出して銀メダルを獲得。

タチアナ・タラソワとの出会い

2007年夏にロシアに渡る。タチアナ・タラソワのもとで表現力や芸術性の強化を目指してバレエ等に取り組む。2007-2008シーズンのグランプリシリーズは2戦とも優勝し、グランプリファイナルでは2位。

全日本選手権2連覇を達成。

世界選手権初優勝

2008年四大陸選手権で初出場初優勝。2008年世界選手権では、逆転優勝を飾り、日本人選手5人目の世界女王に。

ショート/フリーで計3度のトリプルアクセルに挑戦

2008-2009シーズンからはタチアナ・タラソワをコーチに迎え、この頃から「自身の理想とするスケート」を目指して多くの課題に取り組むことになる。

苦手なルッツやサルコウを回避せずプログラムに取り入れること、フリーで2度のトリプルアクセルを跳ぶこと、これまでの「可憐」なイメージとは異なる『仮面舞踏会』を選曲して演技の幅を広げること等、他の選手の追随を許さない域で自分自身との闘いに挑む。

2009-2010シーズンは、苦手なジャンプをプログラムに無理に組み込むことを止め、ショートプログラム・フリーで「計3度のトリプルアクセルを決める」ことに集中。フリーでは「鐘」を選曲。トリプルアクセルに集中するプログラムのはずがジャンプのスランプに陥り、苦悩の表情に変わっていく。

このシーズンでは、シニア転向後に初めてグランプリファイナル進出を逃すが、全日本選手権で4連覇を達成してバンクーバーオリンピック代表に決定

バンクーバー五輪で銀メダル獲得

2010年のバンクーバーオリンピックでは、自己ベストを更新し銀メダルを獲得

オリンピックの女子としては初となるショートプログラムでトリプルアクセルに成功し、さらにフリーでも2度のトリプルアクセルを成功させる。「ショート/フリーで計3度のトリプルアクセル」の偉業を成し遂げるも、他のジャンプでミスが出て金メダルを逃す。

その翌月に開催された世界選手権では、バンクーバーオリンピックで金メダルを獲得したキム・ヨナを破って2年ぶりに優勝を果たした。

4年後のソチオリンピックを目指して

スケート技術の見直し/佐藤信夫コーチに師事

ショート/フリーで計3度のトリプルアクセルを成功させながら悲願の金メダルには届かなかったバンクーバーオリンピック。そして自身の目指す究極の演技

既に2度の世界女王とオリンピック銀メダリストという地位にいながら、まだまだ夢に届かない。ソチオリンピックを見据え「究極の演技」を追究すべく、一からスケート技術の見直しに取り掛かる。

2010-2011シーズンは6種類全てのジャンプの矯正に取り組む。名伯楽・佐藤信夫コーチに師事し、ジャンプのみならずスケーティング技術を基礎から見直す。大改革を始めたこのシーズン前半では、矯正中のジャンプに苦しみ成績が揮わず表彰台が遠のき、グランプリファイナル進出も逃す。その後の全日本選手権でショート1位/フリー2位で総合2位につけ、復調の兆し。

四大陸選手権では矯正により苦しんでいたトリプルアクセルを成功させ2位。その後の世界選手権では、東日本大震災の影響で練習に身が入らず心身ともに落ち込むが、信念を貫きトリプルアクセルに果敢に挑戦。結果は6位。

トリプルアクセル封印と母の急逝

2011-2012シーズン前半はトリプルアクセルを封印。一から見直したスケーティングやスピン、高い表現力で確実に好成績をおさめる。3シーズンぶりにグランプリファイナル進出を決めるも、開幕直前に母親危篤の情報が入り、緊急帰国で欠場。翌日に母・匡子さん急逝。

母の葬儀翌日から練習を再開し、短期間の調整で臨んだ全日本選手権で2年ぶり5度目の優勝を果たす。

シーズン後半、四大陸選手権ではショート/フリー共に封印していたトリプルアクセルに挑戦。どちらも回転不足ながら総合点ではシーズンベストを更新して2位。

満身創痍から浅田真央復活へ

2012-2013シーズンでは、疲労から発症した腰痛が悪化するも、グランプリファイナルで3度目の優勝を果たす。

全日本選手権でも優勝(6度目)。四大陸選手権も優勝(3度目)。四大陸選手権ではショートプログラム冒頭のトリプルアクセルを成功させて、バンクーバーでマークした自己ベストに迫る得点での優勝。世界選手権はショートで出遅れたもののフリーで自己ベストを更新(6年ぶり)して総合3位。

このシーズンは6戦中5勝という好成績で浅田真央復活を印象付ける。

覚悟、好調、不安、そしてソチへ

2013年4月、ソチ冬季オリンピックのシーズンを限りに引退する意向を表明。

2013-2014シーズン、スケートアメリカで優勝。これにより、グランプリファイナルを含むグランプリシリーズ全7大会を全て制覇(シングル選手として史上初)。続くNHK杯も2連覇。

グランプリファイナルでは4度目の優勝(歴代最多タイ)。好調が続くも、その直後の全日本選手権では、フリーで2回のトリプルアクセルに失敗し、ショートの1位を維持できず3位に終わる。期待と不安の中、ソチオリンピックへ。

ソチオリンピックでの伝説のフリー

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期待と不安が入り混じる中で迎えたソチオリンピック

世界中が注目する中、ショートプログラムではミスが重なりまさかの16位。冒頭のトリプルアクセルの転倒だけでなく、トリプルフリップは回転不足、必須要素を揃えられない等の精彩に欠く演技となり本人も放心状態。

奇しくもショートでのこの失敗が、後に「伝説のフリー」と称される感動のプログラムに繋がる。翌日のフリーでは、冒頭のトリプルアクセルを決めると、その後も6種類合計8回の3回転ジャンプをほぼノーミスで滑り切る。かつて女子選手の誰も到達しえなかった高難度のプログラムを演じ切り、自己ベストを更新してフリー3位。ショートでの大幅な失点が響きメダルには届かなかったものの、6位入賞。

オリンピック2大会連続でトリプルアクセルを成功させた初の女子選手となる。ソチオリンピックでのフリーの演技は本人も「自分の中で最高の演技」と語り、多くの人の記憶に残る「伝説のフリー」となる。

翌月の世界選手権ではショート/フリー共に1位で優勝、ショートでは女子歴代最高得点をマークした。

浅田真央にみる「成長型マインドセット」

さて、ようやく本題…成長型マインドセットです。

Tina

当時の演技映像や著書を見返しながらまとめていたら感情移入しすぎてしまい…気付いたら恐ろしく説明が細かくなったので大幅に削ってなんとかまとめ、ようやく本題です。それでも長い^^;

「成長型マインドセット」の説明は以下の記事からどうぞ

もともと浅田選手はとりわけ練習量の多い選手で、バンクーバー後に浅田真央が師事した佐藤信夫コーチは、指導で最も苦労したことを「練習をやめさせることだった」と話しています

出典:朝日新聞Digital 2017年4月11日 「練習きわめた努力の人 純粋さと明るさと、浅田真央引退」より

継続した努力(練習)が出来る人というのは基本的に「成長型マインドセット」の持ち主です。「人の能力は努力によって成長させることが出来る」と考えるから練習するんですよね。どれだけ失敗しても、それを乗り越えられると信じています。

反対に「固定型マインドセット」は、「人の能力は生まれながらに決まっていて変えられない」と考えます。つまり、何か上手くいかないことが起こった場合、それは本人の能力がないという烙印を押されることと同じだと考えるため、ひどく落ち込んで努力を中断してしまうか、もしくは初めからそういった状況を避けようとします。

Tina

失敗したら恥ずかしいから挑戦しない、出来ない人だと思われたくない、一度成功すると逆に次の挑戦が怖い等々、失敗を恐れます 誰しも一度は感じたことのある感情ではないでしょうか。

評価よりも「理想とする究極の演技」

「成長型マインドセット」の人は、他人の評価を過剰に気にしないとされています。なぜなら、自分は成長の過程にいて、その評価はある時点の一時的なものに過ぎないと思っているからです。評価を気にするよりも、どうしたら成長できるかという点に関心が向かいます。

バンクーバー以降、彼女の求めていたのは自身が理想とする「究極の演技」。

そのために佐藤信夫コーチに指導を仰ぎ、ひらすら自分の弱点と向き合いました。それまでの自分のスケートを一旦手放すレベルの大改革。ジャンプの矯正で結果が残せない時期には批判にさらされました。彼女の代名詞であるトリプルアクセルを否定する声も多かったことを記憶しています。

採点上、トリプルアクセルは成功すれば点数が出ますが、減点が入るとむしろ不利になる諸刃の刃。それでも、彼女がアスリートとして目指している姿にトリプルアクセルは必須であり、どれだけ批判されても決してあきらめませんでした。

オリンピックのメダリストになっても、探し求めたのは褒め称えてもらえる安泰の地ではなく、弱点を指摘して成長させてくれる場所=佐藤信夫コーチでした。

Tina

他人の評価を気にしない」と言っても、全く気にならない人はいません。国民的アスリートであり常に注目を浴びていた浅田選手。心無い批判や憶測に心を痛めていたであろうことは容易く想像できますが、それらを振り払って自分自身の目標に集中していた姿が凛々しいですよね。

失敗を恐れず理想を追い求め、伝説へ

浅田真央の成長型マインドセット」を語る上で印象的なエピソードがあります。

それはソチオリンピック直前の全日本選手権2013

成長による体型の変化や、ジャンプやスケート技術の矯正から来る不調といった困難を乗り越えて「浅田真央復活」を印象付けていたシーズン。直前のグランプリファイナルではショート/フリー共に首位につけて優勝し、良い流れに乗っていました。

ソチオリンピック前の最後の試合、そして国内戦。ここで浅田真央はショートでは1位につけますが、フリーで2度のトリプルアクセルに挑戦し、そのどちらも失敗してしまいます。総合結果は3位。

Tina

絶対的女王でいてほしい国民の期待、自身の目指す究極の演技をソチで完成させたい浅田真央。

浅田真央が国内の大会で表彰台のトップに立てないもどかしさから「トリプルアクセルにこだわるな」「日本のエースという自覚を持て」という厳しい声も上がりました。多くの人の目には「ショートで1位につけておきながら、トリプルアクセルにこだわったが故にみすみす優勝を逃した」ように映ったのでしょう。

確かに、フリーで1度目のトリプルアクセルを失敗した時点で2度目を回避して安全策をとっていれば、優勝できたかもしれません。ただ、彼女の目標はあくまで「ソチオリンピックで自分の理想とする究極の演技をすること。全日本選手権は、フリーで2度のトリプルアクセルを跳ぶ感触を確認できる最後のチャンスでした。最初のトリプルアクセルで失敗をした後に2回目を回避するというのは、そもそも頭になかったのではと思います。

優勝を逃して非難を受けることよりも、その先にある自分の夢を見据えての挑戦だったのです。

バンクーバー以降、ソチでの究極の演技を目指してひたむきに努力を重ねてきた浅田選手。ショートでの失敗がありながらも、フリーでは前人未到の高難度のプログラムを演じ切りました。もちろん天性の才能もあると思いますが、それ以上に、辿り着けると信じて成長のチャンスを追い求めたからこそ辿り着いた領域なのではないでしょうか。

最後に

「成長型マインドセット」の記事を書いた当初から取り上げたいと思っていた浅田真央選手のトリプルアクセル挑戦の軌跡。

ここまでのレベルになると、生まれ持った才能や周囲の環境といった部分を否定することはできませんが、浅田真央が伝説となったのは、紛れもなく彼女が自分自身の成長を信じてひたむきに努力を続けた結果です。

成長型マインドセットを自分のものにできれば、人生の可能性が広がります。諦めていた夢や目標、実はそれを邪魔していたのは先天的な能力ではなく、自分の心の在り方だとしたら。

失敗が怖かったり、誰かに否定されて自信を無くしそうな時、成長型マインドセットを持つ人を思い浮かべてください。彼らなら、目の前の状況をどう捉えてどう行動するでしょうか?

Tina

もう無理かも…と思うような時も、真央ちゃんの笑顔を思い出せば頑張れそうな気がするのは筆者だけではないはず!
※本記事に掲載されている画像はリンク先から提供され許諾を得たものです。

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